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仙壽寺(仙寿寺)歳時記
住職のひとりごと
咲いた花みて
よろこぶならば
咲かせた根もとの
恩を知れ
「出逢いがあり、別離もあり。悲しみ、悩み、苦しみを喜び愉しみ希望へ」
人は、宿命・運命を背負ってこの世に生を受けます。
宿命は、宿すとされ変えられないお命で、運命は、己が善悪を運ぶ事が出来るお命を指しています。
又人は、生まれる事・老いていく事・病みや苦しみに悩まされる事・死ぬ事への恐怖、
必ず避けるのが出来ない事実があり、これを
加えて、
突然ですが、あなたの傍に大切な人はいますか?
又、あなたは人の死についてお考えになった事がございますか?
生きざま・死にざまは、人其々いろいろありますが、想われ惜しまれて逝く人ばかりでなく、 孤独死という現実も避けられない状況です。
人の一生は、無常で儚いものではありますが、
一方では、人を想い想われ、慕い慕われ、日々幸せを感じている人も多くおられます。
人を看取る事、或は看取られる事が出来るのも幸せな事なのです。
今私たちは情報化社会の中で生き、隣近所に誰が住んでいるのか知らなく、
悲しいかな我が一人で成り立っていると勘違いして、
周りの人を思いやるお心が薄れている様な気がします。
誰しも人は、やがて息が尽き果て死を迎える事は決して避ける事は出来ません。
一生を振り返り見ますと、
人を助け・思いやりを持てば、必ずしやご自身にも何らかの形で、その善意は戻って参ります。
尚且つ助言するならば、
素直な気持ちで『ありがとう』の一言で、人は必ずしや救われます。
貴方の人生、何をやったのか・何を残したのか、とても大事な事かと思いますが、
それよりも貴方は、どう生きたのかと言う事の方がもっと大事な事かと思います。
後悔の無き様に歩む己の人生、
感謝感謝のお気持ちが積み重なって今があり、
傍に大切な人が居てくれるのではないでしょうか。
祈・萬福多幸
夏の風物詩・花火大会
「亡くなった佛へ灯火を通じて思いを届け、平和・希望の願いを込めて…。」
當地守護・當寺鎮守、十六大善神様を加護し、春と夏の年二回御開帳祈祷が厳修され、
特に夏の一時、
家族や縁者等で和み・愉み、夜空を通じて故人を偲び、便りを届けるが為の一環として、
打上花火・仕掛花火・手筒花火大会を執り行っています。
打上花火は大人し目ですが、境内での仕掛花火(ナイヤガラの滝)に関しては、
間近で必見の価値あり。
十六大善神画幅
「幸せだから 笑うのではなく 笑うから 幸せが来るのです…。」
十六大善神とは、大般若経全六百巻(集約した経が般若心経)を守護するもので、
中央に釈迦如来像、それを取り巻くように、
主として四天王と十二神将と合せ、十六名の夜叉神の護法善神の事であります。
當地守護神。當寺鎮守十六大善神さまの画幅は、
南北朝時代後期から室町時代(1352~1431年)にかけての高僧明兆(兆殿司)による、
精魂込めた傑作と伝えられ、古来霊験新たかな事で広く尾三両国に亘って知られ、
人々の心の支えであり日々の信仰の対象であったと伝えられて居ります。
これは、室町時代に菱野の里に伝えられて以来、當地の守護神として集めていたが、
享保三年(1718年)當地に仙壽寺(仙寿寺)の開基と同時に合祀され仙壽寺(仙寿寺)本堂に安置されたのであります。
弐百数十年前に當寺が火災の難に遭い、十六大善神さまの伝来文献は不明ではあるが、
地域の先人に亘り口伝に依って継承された一つに、
“医療の届かぬ人々は神仏の加護に只管に活路を求め、
山内の献水したお水を吸飲する事に依り、難病でも忽ち快方へ向かったとか…”、
信仰のお陰で祈願が適えられた伝説が今日迄言われて居ります。
つまり、當地の守護神として室町時代初期以来六百年近余も永きに亘り、
この地に住む人々・篤志信心者等は難病平癒や生活の安泰を祈念致し、
今日に至まで年々歳々祭典諸行事が奉献されている訳でございます。
又地域を問わず大勢の方々依り(通称・十六善寺)として親しまれるのも、
人々の信仰の篤さが物語って出来た賜物だと存じて居ります。
献茶
温もりあるおもてなしで
安らぎのひとときを・・・
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随時當寺へお問い合わせください。
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